人気が欲しい人生だった

POPEYE des KAKITAI

いつかPOPEYEで執筆を

何をしてるときが一番幸せですか?

「何をしてるときが一番幸せですか?」

その質問に答えられなかった。肉汁に旨味、ソースも付け合わせも最高にバランスの取れた美味しいハンバーグに巡り会えたとき、かわいいなあ…かわいいなあ…と涙が出るような好きな映画を観たとき(グリーンブックめっちゃ良かった!)。

うーん、どれもすごく気分が良くなっているけど、幸せか、と言われるとそう言い切ることができない。

自分の人生を振り返っても、まさにそんな感じだ。幸せだ! と疑うことなく思っていたのは中学生くらいまでではないだろうか。

そのあとはずっと逆ギレしている。さて、から揚げも揚げ終わったし、ご飯よそって食べるかあ、と思った矢先、ダイニングテーブルの端に置いたお皿に自分の体をぶつけて、ひっくり返してしまい、「あー! もうっ! なんでやねん!」とひとり叫んでいるような状態だ。お皿を机の真ん中の方に置いておけば、起こらなかったであろう事故にも関わらず、自分の至らぬ点を無視して、あぁ、自分は何て不幸な星の下に生まれたのだろう、と悲劇のヒロインぶってしまうのである。側からすれば、「知らんがな」の世界だ。

こんなにも捻くれたのは、高校時代が強く影響している。とにかく青春なんて縁遠い10代を過ごしてしまうと、人間は腐ってしまうのだ。当時の僕は見た目も中身も醜かった。そうすると、言うまでもなく女の子にモテない。このモテないというのが非常に問題なのだ。世の中に必要とされていない感がとにかくすごかった。女の子やモテている男の人は理解できないと思うが、男の世界なんてものはそこに全てがある。いかに女の子と接することができるかが存在意義だった。そんなやつばっかりだ。

世の中に必要とされていないこと受け止める、もしくは、そのパワーを音楽であれスポーツであれ、何かに昇華できれていれば良かった。けれども、僕は逆ギレしていた。全部に、なんでっやねんっ! と不貞腐れていた。

今も変わらず拗ねている。昨日なんて素敵な女性と浅草を散歩して、そのあと綾瀬で幼なじみと焼肉を食べた。すごく幸せだったはずなのに、僕はもっと幸せなことがあるのではないかと思ってしまう。

この文章ももっといい感じに書けそうなのに書けないのがもどかしい。苛ついていると、観葉植物に「まあまあ、落ち着きいや」と言われた。僕は「でもな、この文章読んでも誰も『良かった』とか言うてくれへんしな」と返したが、観葉植物はそれ以上何も言ってくれなかった。